去年の大河ドラマのクライマックスは大坂の陣でした。
最初の冬の陣の時に真田信繁が野戦を主張したのに採用されず籠城戦になったという経緯があります。
ここで籠城戦は援軍が来ることが前提という、当時の常識があります。

しかし、この時日本は二つに割れて、守る豊臣側と責める徳川側があり、援軍はいなかったのに、なぜ籠城したのかという疑問があります。
他の理由もあって籠城したわけですが、援軍という意味では可能性があったのです。
当時の武将たちは、優勢な方につくという考えがありました。

しかも大坂城には十分な備蓄と地形上の有利さもあり、簡単には落城しないという状況がありました。
ということは、長期間持ちこたえて、徳川方のモチベーションが下がってくれば寝返るという事も十分にありました。
また、日和見を決め込んでいた武将が、徳川軍が弱ったのを見て援軍として駆けつける可能性もありました。

実際にそのようになりつつあったわけです。
冬の陣で徹底抗戦すれば和睦になるのは日を見るよりも明らか。
有利な豊臣側は、有利な条件を示すことが出来たわけです。

しかし、家康にだまされてすべての堀を埋めてしまったために、その後の勝利の可能性は途絶えたわけです。

城というのは敵の攻撃を防ぐために様々な施設を造っています。
堀や門や石垣ですね。
敵の様子を見る櫓もそうです。
戦国時代の城は山の尾根等に建ててあり、自然を要塞の一部にしていました。

江戸時代の末期に日本で城攻めが行われました。
北海道函館の五稜郭です。

この時は戦国時代の城攻めとは大きく異なっていました。
それは火器です。

戦国時代はせいぜい鉄砲、また音ばかり大きくて破壊力の少ない大砲程度が使われていました。
ところが江戸時代末期になると強力な大砲が海外から入ってきていました。
また巨砲を搭載した船からの艦砲射撃という方法もありました。
つまり、堀や石垣は役に立たなかったわけですね。

世界の美しい城は、強力な火器が世に出てくる前のものが多いのではないでしょうか。
 

城というのは本来は防御のためのものです。
平和な時代になってからは、政治を執り行う場所になり、また殿様の権威示す建物でもあるように変わりました。

本来の機能でいうと、どう守ってどう攻めるかということになり、そういう目で城をみると結構面白いですよ。
城を攻める方はなるべく自軍の被害を少なくしたいと思うわけですね。
守る方は、なるべく長く持ちこたえて援軍を待つということになります。
ですから援軍を期待できない籠城は、その時点で作戦負けということになります。

攻める方は、城の弱点を狙うことになります。
 正攻法で考えれば、まもりの薄い地点から攻め込むということになります。
また、兵糧攻めとか水攻めのように、戦わないという方法もありますね。
 これは城の周りを完全に包囲して、補給路を断つわけですから、土木工事ということになります。

しかし、どんな攻め方や守り方をしても、裏切りというのが意外と多く、あっけなく決着がつくケースがあります。
 

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