去年の大河ドラマのクライマックスは大坂の陣でした。
最初の冬の陣の時に真田信繁が野戦を主張したのに採用されず籠城戦になったという経緯があります。
ここで籠城戦は援軍が来ることが前提という、当時の常識があります。

しかし、この時日本は二つに割れて、守る豊臣側と責める徳川側があり、援軍はいなかったのに、なぜ籠城したのかという疑問があります。
他の理由もあって籠城したわけですが、援軍という意味では可能性があったのです。
当時の武将たちは、優勢な方につくという考えがありました。

しかも大坂城には十分な備蓄と地形上の有利さもあり、簡単には落城しないという状況がありました。
ということは、長期間持ちこたえて、徳川方のモチベーションが下がってくれば寝返るという事も十分にありました。
また、日和見を決め込んでいた武将が、徳川軍が弱ったのを見て援軍として駆けつける可能性もありました。

実際にそのようになりつつあったわけです。
冬の陣で徹底抗戦すれば和睦になるのは日を見るよりも明らか。
有利な豊臣側は、有利な条件を示すことが出来たわけです。

しかし、家康にだまされてすべての堀を埋めてしまったために、その後の勝利の可能性は途絶えたわけです。